コラム - インターネット世界の幻想
インターネットは今や“当然”という言葉で済まされる時代に今なろうとしている。
人と人が簡単に言葉を交わせるツールは今までにない大きな進歩だ。Webサイトでは言葉や文字の他に視覚的にユーザーに主張できる。そして、すべての人にその情報を得る権限が設けられる。インターネットの世界ではすべては自由なのである。
現代社会では上司に気遣い自分を自己主張が出来ないもどかしさ。仕事で早く認めてもらいたい焦り。部下に自分のポジションが取られるのを恐れる戸惑い。自信がなく勇気が持てない人たちが“自由”を求めてインターネットの世界に夢を見る。
自分を少しでも見てもらえる場所がある、自分が感じること思うこと悩んでいることすべてを、周りを気にすることなく何でも話すことができる唯一の居場所がインターネットの世界だと思える人は多く存在するのではないだろうか。
人はインターネットに魅了され、そして冒されていく。
そう、今の人類は“愛”に飢えているのかもしれない。
誰かに必要とされたい。誰かに認められたい思いは生きる私たちにとっては自我を維持するために必要不可欠なものだ。私も少しでも誰かのために何かをしなければいけないと焦っている歳にもなってきたようだ。だが、本来、人は何のために生きているのか、何を求めているのかそれを日常考えることは少ない。ただ、私たちは生きている。その目的や人生の価値観は人それぞれ違うし、何が必要でそうでないのか、千差万別である。
ただ、ひとつ言えるのは人は幸せになりたいから生き続けるのだ。その希望があるからこそ人は生き続け、生まれ変われるもの。インターネットでもそれは同じ。
インターネットはなぜ存在するのか。情報を瞬時に得られ、個人の目的に合わせた情報収集ができる。それに加え、コミュニケーションが利用者すべてに自由に与えられる。今や、インターネットはインターネット=広告媒体となりつつあるが、本来はコミュニケーションツールなのだ。それはインターネットの根源は人を幸せにする、心を満たすツールとして与えられた神の声なのである。
コラム 西口
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